かなり以前に近代セールスという雑誌に、「投資の英語、年金の英語」という連載をしたことがあります。金融用語の語源をたどる軽い読み物です。対象読者としては金融に働く人々を意識していましたが、一般の方でも楽しんで頂けるのではと思っております。
向こう2ヵ月弱、再掲してみます。
第1回:Retirement
仕事の中にどんどん「横文字」が
インベストメンIト、ファンド、リスク、リターン、コンサルティング、ファイナンス、スワップ、デリバテイブ…。こうした「横文字」は数えたらきりがないほど私たちの日常業務の中に入り込んできています。読者の皆さんも、業務上これらの「横文字」を覚える必要性に迫られることも多いと思います。
覚えなければならないから覚えるという作業は、決して楽しいものではありません。しかし、実はこれらのことばの語源をたどっていくと、よく使われている別のことばに行き着いたり、思わぬエピソードがあったりして、案外興味が湧いてくるものです。それに、覚えやすくもなります。
この連載では、こうした日頃よく出てくる「横文字」に少しでも興味を持っていただき、折に触れてお客様との会話にも取り入れて頂けそうな語源やエピソードなどを取り上げてみたいと思います。
語源はフランス語
投資信託や個人年金保険を扱う皆さんが、この「リタイアメント」ということばに接しない日は少ないのではないでしょうか?それほど、「リタイア」「リタイアメント」は日本語としても定着しつつあります。「リタイアメント・プランニング」はファイナンシャル・プランニングの主要な部分として、FP資格を取得された方は勉強されたと思います。
広辞苑では、「リタイア」は「引退・退職すること」「自動車レースなどで、途中で棄権すること。試合を放棄すること」と定義されています。
英語の"retire"の語源をたどると、フランス語の"retirer"(発音は「ルテイレー」に近い)という言葉に行き着きます。この言葉は「後ろへ」という意味の"re"と、「引く」という意味の"tirer"が合成されてできており、英語では16世紀の半ば頃から「軍人が現役を退く」という意味で使われ始めたようです。一般人が現役を引退するという意味では、17世紀の中ごろから使われ始めたようです。
こんな言い方はいかが?
最近アメリカ人の投資信託販売員の話を聴くことがありました.その時印象に残ったのは、この"retirement"に関する彼の説明でした。日本でも「リタイア」ということばには「現役引退」=「隠居」というイメージがあり、のんびりとした生活に入るという楽しいイメージがある一方、表舞台から離れて静かに、あるいは寂しく暮らすというやや暗いイメージを持つ人も中にはいるようです。これは、洋の東西を問わないようで、彼は「リタイア」後、あるいは「リタイア」直前のお客様向けのセミナーなどでは‘‘What
do you plan for your30-year vacaUon?"というタイトルを付けるそうです。
ヴァケーション(またはヴェイケーション)(‘‘VacaUon")という言葉は、いつ頃から定着したのでしょうか?私の推測では1960年代に人気歌手だった(そして現在も現役、つまりまだ「リタイア」されていないようです)弘田三枝子さんが歌って大ヒットした「ヴァケイション」という歌がきっかけなのではと思います。昭和30年代以前に生まれた方の中には「V」「H」「C」「A」「T」「I」「O」「N」というパンチの効いた歌い出しを覚えていらっしゃる方も多いと思います。
この「ヴァケーション」という言葉(ちなみにこれもラテン系、フランス語系のことばです)は、楽しくかつ活動的なイメージを持っています。「リタイアメント・プラン」より『ヴァケーション・プラン」と言う方が旅行やスポーツを連想して楽しそうです。「リタイアメントをどう過ごしますか?」ではなく「30年もあるヴァケーションをどう過ごしますか?」という言い方のほうが、セミナーに来る人も多くなりそうな気がしませんか?
「リタイア」するのは人間だけではない
皆さんは「永久欠番」という言葉をご存知だと思います。プロ野球などで、特に賞賛に値する実績を残したプレイヤーが付けていた背番号を他の選手の背番号として使わない制度です。
例えば巨人軍では長嶋茂雄、王貞治、金田正一、川上哲治などがこの名誉に浴しています。最初の永久欠番を受けたのは戦前の大投手で、投手に与えられる最高の名誉「沢村賞」にその名を残す沢村栄治です。
この「永久欠番」を英語では"retired
number"(「引退した背番号」という意味)と言います。最初にこの栄誉に輝いたのは、ベーブ.ルースと同時代にニューヨーク・ヤンキースの名一塁手で、当時の4番打者だったルー.ゲーリッグでした。彼の背番号4番が、初めて永久欠番とされ、この伝統が野球界に広がったのです。ドイツ系移民の子としてニューヨークで生まれ、育ったゲーリッグは、こうして今もヤンキースファンに記憶され、愛されています。
ケーリッグは1987年に広島カーブの衣笠祥雄がその記録を抜くまで、2130試合連続出場記録の大リーグ記録を持っていた選手、また、後にルー・ゲーリッグと呼ばれるようになった難病筋萎縮性側索硬化症という不治の病で37歳という若さで亡くなったことでも記憶されています。背帯号が「リタイア」した後、2年後に永久に「リタイア」したことになります。
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